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サラリーマン転職日記
転職で年収180万円アップ!
サラリーマンであれば現状で、もっとも大きな収入をもたらしているものはやはり給料です。
デフレが進みベースアップも少ない今となっては給料の増加はあまり期待できません。しかし、やり方次第では転職によって給料の大幅なアップが可能です。さにおは転職によって年収が180万程上がりましたので、このページで転職にいたるまでを紹介したいと思います。
1.最初のきっかけ(2001年)
さにおは難易度の高低がありますが多数の資格を取得しています(サラリーマン人生年表にさにおが取得した資格の一覧を載せていますので詳細はそちらを見てください)。これだけ資格を取得していると、ちょっと自慢したいという気持ちがにょきにょきっと出てくるわけです。
就職支援サイトには自分の経歴を登録しておくと、その経歴を見た企業から入社のお誘いのアプローチがくるというサービス(スカウト)があります。はたして、これだけ資格を取得している自分はどれくらいアプローチがくるかなぁなどと考えたのでした。
そこで、転職するという気はあまりないものの自己満足感を得るためだけに、就職支援サイトに登録したのがきっかけです。登録したのは2001年で、月に1〜3通スカウトメールが来ました。そんなにたくさんくるわけでもなく、まぁこんなものかという感想でした。
就職支援サイトに登録するとメルマガが届くようになるのですが、自分自身キャリアアップに熱心ですから、このメルマガは必ず読んでました。
このメルマガをよんでるとT自動車が中途採用を募集するとのこと。超一流企業で給料も高く、効率的な生産方式は有名です。機械系エンジニアの私にとってそのノウハウはまさに垂涎です。さにおはぐぐっと心を動かされました。すでに自分の経歴は登録してあるものですから、応募が簡単にできるのもあって、すぐに応募しました。
結果は2ヵ月後に判明し、書類選考で落とされました(泣)。2001年は他に興味のあったもう1社に応募しましたが、こちらも書類選考で落選でした。2001年の活動はこの2社でおしまいでした。
2.転職活動を開始しようとしたときの状況(2002年)
【良い面】
さにおは某大手機械メーカーの機械系エンジニアでした。日本で100番以内に入る規模の超一流企業です。給料もそこそこ良いうえ、福利厚生が充実していて古い社宅(築29年)ですが格安で提供してもらってました。駐車場代もタダです。
ですから同じ給料をもらって賃貸住宅に住んでいる人よりは生活レベルが高いわけです。この社宅は職場まで徒歩5分で、満員電車に揺られずに出勤できます。海にも山にも近く、都心へも1時間位で行けるので、恵まれた住環境でした。
仕事内容は生産技術です。ほとんど自分の裁量で仕事を進めることができ、日常的なルーチンワークはありません。嫌な人間にペコペコすることもありません。帰ろうと思えば定時でも帰れます。同僚や現場ともいい人間関係を築いていました。
【悪い面】
年功序列型の企業ということです。工場には有資格者が必要な業務があり、さにおが名前を貸しているものが2つあります。名前を貸すということはその業務の仕事が当然増えるわけで、何か問題があったときに法律的に責任が問われるのはさにおです。
こういった資格を取得するためには300時間から400時間という膨大な時間を費やしてやっと取れるかどうかというところです。しかし、会社に名前を貸しても正当な対価が得られません。何の努力もしていない同僚と同じ給料です。努力しても報われず、むなしい思いです。
上司がこういったこと認めてくれ考慮してくれれば、まだ気持ちは楽ですが、自己中心的で上ばかりみている理解のない上司なので、余計に頭にきていました。
3.自分のキャリアをデザインする
転職活動をする前に自分の将来像を考えました。最終目標は「企業に頼らず自立できること」です。大企業でも倒産する時代です。将来リストラにあうかもしれません。ですから自分の力だけで仕事ができる位のキャリアを身につけるということがとても重要だと思うのです。
次にこれまで培ってきた「経験や知識を活かせること」です。学校で学んできたことや資格の取得してきたことを捨てるにはもったいないからです。
以上のことをふまえて、転職希望職種を「経営コンサルタント」としました。経営コンサルタントは自分の知識や経験を活かし独立している人が多いし、これまでの経験や知識が活かせます。またやりがいも感じます。
経営コンサルタントといっても様々な領域があります。大きく分ければ戦略系、IT系、会計系、業務系です。私はこれまでの経験を活かし業務系で、ISOと製造業の生産性改善の分野に取組んでいる企業に的を絞りました。
4.転職活動開始(2002年)
といっても、活動時点は絶対転職するという強い意気込みがあったわけではありません。どこかいい企業があればという感じで転職活動を開始しました。気持ち的なわだかまりを除けば、現在の環境に十分満足していたからです。
情報収集はインターネットと日本経済新聞の求人広告欄です。転職活動はお見合いみたいなもので、条件があうことと応募する機会があうこと、この2点が合わなければうまくいかないものです。私が応募したい会社は採用募集をしていなかったりするので、機会があわないというか縁がないんですね。縁っていうのは意外と大事なものです。
以下に2002年の活動を簡単にまとめました。
・1月:1社応募。書類選考で落ちる。キャリアに自身があったので、ショックでした。
・6月:1社応募。書類選考で落ちる。ショックから立直り、再び応募するも、またまた落ちてしまいました。
・7月:1社応募。書類選考で落ちる。ここまでくると、ちょっと慣れました。
・8月:3社応募。1社は書類選考で落ちる。2社は面接まで進むものの不採用。資格試験と重なりハードでした。
・9月:1社応募。書類選考で落ちる。
・10月:3社応募。1社は書類選考で落ちる。2社は面接まで進むものの不採用。またまた資格試験と重なる。
・11月:1社応募。書類選考で落ちる。
・12月:2社応募。1社は書類選考で落ちる。もう1社は面接まで進み、みごと内定!
5.転職活動を終えて
振り返ると書類応募した企業(2001〜2002):15社、面接に進んだ企業:5社という結果でした。現実の雇用状況を肌身に感じました。
内定率が悪い結果を反省すると書類応募した企業と自分の経験がぴったりとマッチしていませんでした。ISO系にしても、さにおは審査員の資格はないし、内部監査の経験がありませんでした。またコンサル会社もさにおが希望する分野があるものの強みがマーケティングであったり、経営診断であったりして、さにおが希望しているコンサル分野は傍流でした。
結局、内定がいただけた企業は設立5年で、人数も数十人という若い会社でしたが、私が希望している生産性の改善という分野に強みをもっており、会社案内を読んでこの会社なら自分の経験が活かせると直感しました。事実、面接時に面接官にもそのように言われ、さにおにぜひ入社してほしいという強い熱意を感じました。
自分の経歴が応募する会社に活かせるかどうかというのは、即戦力を求める中途採用において重要といえるのではないでしょうか。
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